昇平丸モニュメント
島津家28代当主島津斉彬公が外国軍艦に対抗するため牛根、瀬戸、有村に各造船所で洋式軍艦を製造した。
その軍艦のひとつである帆船『昇平丸』が日本の船の印として初めて白地に朱丸ひとつの日の丸を掲げた。造船所は大正噴火の溶岩に埋め尽くされ、現在はビワ畑になっている。
島津家28代当主島津斉彬公が外国軍艦に対抗するため牛根、瀬戸、有村に各造船所で洋式軍艦を製造した。
その軍艦のひとつである帆船『昇平丸』が日本の船の印として初めて白地に朱丸ひとつの日の丸を掲げた。造船所は大正噴火の溶岩に埋め尽くされ、現在はビワ畑になっている。